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お茶あれこれ(65)--「闘茶」の今と昔

2015-04-20 16:47:29

お茶あれこれ(65)--「闘茶」の今と昔

 先日浙江省の千島湖で「闘茶」大会が開催されたというニュースが目に留まりました。闘牛の「闘」に茶と書く「闘茶」は、昔、お茶を飲み比べて優劣をつけるという遊びでした。現在でもイベントなどで「闘茶」の言葉が時々用いられていますが、いろいろなお茶を飲み比べて賞をつけることによって、お茶のアピールを図ろうとしているのが一般的です。

 闘茶は唐の時代に始まり、宋の時代に盛んになったといわれています。当時、お金持ち達が自慢のお茶をそれぞれ持参し、茶舘に集まり、どのお茶が一番いいかを飲み比べて勝負して遊んでいたというものです。闘茶は、4月初めの清明節頃、各地で新茶が採れてからよく行われました。数人から十数人が茶舘に集まって競うのです。

 そして、闘茶の場では、お茶を飲んで、その色や味わい、香りなどに優劣をつけるほか、お茶を点てるときに表面に出来る模様を評価することもあるということです。上手な人はお茶の表面に山水画などを描くこともできるということです。また、茶に関する漢詩を即座に作る闘茶もあり、その内容はとても豊富でした。

お茶あれこれ(65)--「闘茶」の今と昔

 宋の時代のお茶の飲み方は、いまの日本の茶道のように、茶葉を粉にして茶筅で点てて飲んでいました。その後、中国で大量の茶葉が採れるようになり、お茶の飲み方も変わりました。茶葉を粉にすることはやめて、手軽にお湯で淹れてから、お茶だけを飲んで、茶葉は捨てるようになりました。宋の時代の茶葉を粉にして飲む方法は、そのまま日本へ伝わって茶道の作法になったわけです。

 同じように昔の中国にはあったけれども、現在ではあまり見られず、日本では未だに使われているものとして、茶道具があります。茶聖と呼ばれる陸羽は『茶経』の中に自身が考案したものも含め、25種類の茶道具を紹介しています。この茶道具が日本の茶道で現在でも沢山使われているのです。そう言えば、日本の茶道にはまっている女性は、風炉などの茶道具がほしくて、日本へ行って買ってきたという話を聞いたことがあります。

 お茶が日本へ伝わったのと同じように、実は日本にも闘茶の歴史がありました。日本で本格的に喫茶が行われるようになったのは、鎌倉時代に入ってからですが、後期に入ると各地でお茶の樹の栽培が行われるようになりました。ですが産地の間で品質に差があり、最高級とされたのは京都郊外の栂尾(とがのお)で産出された「栂尾茶」で、特に「本当のお茶」と書く「本茶」と呼ばれ、それ以外の場所で産出された「お茶にあらず」と書く「非茶」と区別されていました。そして、日本で最初に始まった闘茶は本茶と非茶を飲み当てる遊びだったということです。

 ですが、東山文化へと移行していく15世紀中頃からこうした闘茶は衰退の様相を見せ、更に千利休などによって侘び茶が形成されていくと、闘茶は享楽的な娯楽や賭け事として、茶道から排除されるようになっていったということです。

 「お茶で闘う」と書く闘茶と聞くと、「牛を闘わせる」闘牛や「鶏を闘わせる」闘鶏が頭に浮かびます。北京には、伝統的な遊びの一つにコオロギを闘わせるものもあります。実はこれらの「闘」という漢字は、賭け事のために闘わせることを意味しているのですが、現在の「闘茶」は味を比べる程度の意味合いに変わっています。(文:王秀閣)